走り出したきっかけは

そもそも(更年期障害)
 走り出したきっかけは、40才台後半からの体の不調からでした。
 仕事が印刷業のDTP部門(パソコンを使ったデータ作成)であったため長時間座ったままでディスプレイと向かい合ったままという作業を長年続けてきていました。この業界の繁忙期は長時間労働が当たり前となり、しかも独立したりもしたので過労も蓄積されていました。
 めまい、耳鳴りから難聴となりそこへ動悸(寝ているときに突然起こった)とつぎつぎと症状におそわれました。あちこちの病院を訪ねましたが、特に悪いところはなく、根本的な治療は有りませんが大方の診断でした。
 しかし、本人にとっては大変不快で整体・ハリ・マッサージ等良いと言われたものはかなりの種類試してみました。施術はその時は体が軽くなったようになるのですが、治るというものとは違いました。
 色々試している内に、めまいが起きる周期がだんだん短くなりしかもその期間が長くなってきました。そうすると仕事に集中することができなくなり、もうどうでも良いと言うような気持ちが出てきました。休憩するとまた仕事を始められるのですが集中力が続きませんでした。
 車等の運転は支障がないのですが、車を降りたときめまいで車にしがみ付いたこともありました。

 
 

メニエル病

 めまい、耳鳴りから難聴となりそこへ動悸(寝ているときに突然起こった)とつぎつぎと症状におそわれました。あちこちの病院を訪ねましたが、特に悪いところはなく、根本的な治療は有りませんが大方の診断でした。
 しかし、本人にとっては大変不快で整体・ハリ・マッサージ等良いと言われたものはかなりの種類試してみました。施術はその時は体が軽くなったようになるのですが、治るというものとは違いました。
 色々試している内に、めまいが起きる周期がだんだん短くなりしかもその期間が長くなってきました。そうすると仕事に集中することができなくなり、もうどうでも良いと言うような気持ちが出てきました。休憩するとまた仕事を始められるのですが集中力が続きませんでした。特に、集中力が無くなるのは仕事上致命的でした。
 車等の運転は支障がないのですが、車を降りたときめまいで車にしがみ付いたこともありました。
 食欲は十分あり酒・タバコも普通に飲んでました。これで体が不調では、本人以外は分からないはずです。贅沢病だよと言われたこともありました。

ジョギング

 時々訪れていた居酒屋のママさんからジョギングを進められていました。もちろん興味もなく話のネタ以外は踏み込んでは行きませんでした。
 学生の頃からスポーツは球技以外はやったことはなく、走ることなんて単なる体力アップ以外に思いつきませんでした。だって、あんまりにも単純で面白くなさそうでした。
 体調不調に陥った頃、運動で改善されることも多いと聞きワラにもすがる思いで進められるマラソン大会に参加の約束をしました。聞いてみるとお店のお客さんで10人程がエントリーするとのことでした。
 大会は12月23日(ジングルベルマラソン)で10・5・3キロの種目があり、3キロにエントリーしました。話が決まったのは11月末頃で準備に1ヶ月有りませんでした。

ジョギング開始

 走るとは言ったものの20才頃から今までまともに走ったことは、記憶にありません。「走れるんかいな」正直な気持ちでした。
 その頃、長男が高校受験の時で部活を卒業して体重が増加中だったので気分転換に大会に出場しないか誘ってみました。そしたら自分でも太っていたのを気にしていたのかあっさり「出る」との返事、5㎞申し込みました。
 12月1日から練習をスタートしました。23日が大会だから22日間しかありません。計画として一週間で1㎞ずつ増やせれば3週間で3㎞走れるようになるはずです。
 まず200mを走る予定で、あの信号を目指して駆け出しました。軽くたどり着いたのですが、折り返したらもう足が動きません。歩いて帰りました。
 200,400,800と二日単位で増やしていき1週間で何とか1㎞へ。ここまでは直線路の折り返しで走っていましたが1㎞からは周回路となります。
 今、思い返すとペース等何も考えて無く、ただ一生懸命走る事しか見えず苦しいの一言でした。ハーハーの連続でした。
 なんとか1㎞走れるようになったのですが、予想外のつらさに根を上げそうになりました。が、この頃から長男も練習に加わり出し、親父としても不細工な姿を見せるわけにもいかず続けました。二週間目、1→2㎞が一番つらかった時期でした。これを支えたのが息子だったと思います。
 あと一週間です。ここまで何とか順調にきたのですが、この頃からめまいに襲われ出します。

 周期が巡ってきたようで困ってしまいました。病院に行くと薬を出されこれを飲んで安静にせよとのこと。散歩もダメと言われ、大会のことも言出せませんでした。
 考えた末、やれるだけやってみようと靴を履き上を見上げるとグルーと回りました。しかし思い切って走り出しました。
 200、400と走り、ハーハーときつくなり出すとめまいが感じられなくなりました。アレッ、どんどんペースを上げていきます。ハッハ、ハッハ何ともありません、いや大変苦しい。なんだコリャッ。
 そうです、走る苦しさにめまいがどっか行ったようでした。「歯が痛いときに指を金槌で打ったよう」とたとえて言っています。走り終えて息が落ち着くとめまいは復活しましたがすごく安心したのを覚えています。
 周回コースは約2㎞のため家の前を通り過ぎて行かなければなりません。これ結構つらいです。時間も長くなってきたので足の回転、腕の振り、呼吸のリズムと自己流ながらも色々考えながら走れるようになりました。単調な作業と思っていたのが認識不足であったことを教えられました。机上の空論というか、あれこれ思うことの半分も走行中は実行できません。不思議ですがやってみて初めて気がつきました。
 3週目も無事消化でき、3㎞を二度走り最後の日は休息することができました。

大会初出場

 12月23日、天皇誕生日、寒い朝でした。息子を助手席に乗せ会場へ向かいました。山沿いの会場に近づくとあちらこちらに雪が残っていました。受付をすませてスタート場所に行くと約1000名程の参加者と関係者で熱気が溢れています。
 進めてくれたママさん仲間とも合流でき、さあこれからと準備にかかります。3㎞は私だけなので何となく話に入れませんでした。
 アナウンスが頂上付近は凍っているので気をつけるように行っています、上着を脱ぎ短パンになると冷気をドンと乗せられたようでした。
 3㎞は小中学生がメインのクラスで何となく気恥ずかしい感じでしたが、走り出すと子供達はアッと云う間に先へ行ってしまい自分の世界で走れました。私よりだいぶ年上と思う男性が、なんと片足義足で走っています、一瞬言葉を飲み込みました。
 コースは、川沿いを山へ登っていきます。登りと云っても気になる程ではありません。沿道で応援してくれているのでついペースが速くなり息が上がりそうです。一生懸命もがいていると前方から折り返しの選手が帰ってきました。アッ、もう少しで中間点だと喜んだのが、、、全然折り返しがきません。そこから私の折り返し点が逃げていったのかと思うくらい遠かった。

 やっと折り返し、もう限界、歩こうかと思い出した頃沿道で応援してくれる人が目に付き格好悪いのでもう少し、もう少し頑張れ。よれよれになりながらも走り続けているとゴールのアドバルーンが見えました。そこから元気が出てスパートした小中学生にドンドン抜かれてゴール。でも歩かずに走り切れました。
 よう頑張った、ようやったと自分で感激しながら誉めてやりました。

 息子も無事完走し「ゴール前でスパートし限界を超えたと」満足げにポカリを飲み干していました。
 後から聞いた話ですが、「3㎞で練習した人って、初めてだわ」ママさんより。
 

そして(メタボ対策)

 完走の喜びに浸り、年末・年始の行事をいつものように過ごした休み明けに乗った体重計は走り出す前より1㎏プラスを示しました。
 一月の練習で3㎏体重が減って喜んでいたのに、十日ほどで元通りよりオマケまで付いてきました。それからは少しずつジョギングを始めました、本当の意味のジョギングでした。
 そのおかげで1年後にはめまいの症状も気がつかなくなり、また、動悸も以後一度も起きていません。耳鳴り、難聴は残念ながら回復しませんでしが、体調が良くなり持久力が付いたのは自分が一番よく知っています。
 メタボ対策が云われ出したのでちょうど良いきっかけとなりました。

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